
「いつになったら、事業は成長するのか」
「いつ、損益分岐点に達するのか」
「この事業は、本当に社会に必要とされているのか」
暗闇の中、自分自身に問いかけ続けた日々。マレーシアで起業してからの数年間、私の日常は、理想とはほど遠い「孤独」との戦いだった。
マレーシアに渡る前、私はバングラデシュで志を共にするパートナーと出会い、新天地マレーシアでの起業を決意した。リサーチを経て、「ここならやれる」という確信を持って移住した。
しかし、現実は容赦なかった。起業直後に世界を襲ったパンデミック。共同創業者はマレーシアに入国できなくなり、私は見知らぬ土地で、たった一人ですべての意思決定を迫られることになった。
ずっと金融の世界にいた私にとって、マーケティングは未知の領域。
さらに、外国人として現地のローカル企業を相手にするビジネスだ。「見知らぬ外国人の手がける金融サービス」という警戒の視線を感じるたび、足元がすくむような思いだった。
「やっと一人じゃない、チームで戦える」
2022年。ようやく資金調達の兆しが見え、念願だったスタッフの雇用に踏み切った。
胸を熱くしたのも束の間、なんと調達の話が白紙に戻ってしまったのだ。結果、雇ったばかりの2人のスタッフを解雇せざるを得なくなった。これはメンタルにこたえた。
打ち明けたときの2人の空気感。申し訳なさと情けなさ。今でも残像が目に焼き付いて離れない。成功の予感から一転してどん底へ。まさに、急上昇と急降下を繰り返すジェットコースターに乗っているようだった。
「いつまで同じことを繰り返すの?」「仕組み化できないならやめた方がいい」
周りからは厳しい声も飛んできた。エンジェルインベスターからの数千万円の原資があっても、コストがそれを上回り、未来への不安に押しつぶされそうな夜が何度もあった。
それでも、歩みを止めなかった理由は、高校時代から心の中で温め続けてきた「途上国で社会事業を成し遂げたい」という強い信念があったから。
NGOでの活動を通じ、寄付や補助金に頼るモデルの限界も見てきた。だからこそ、ビジネスとして持続可能なシステムを作ること、社会的なミッションを抱えながら利益を生むこと。その可能性を、バングラデシュの起業家たちに教わった。
そう信じて行動し続けた。BNIというコミュニティで出会った女性が、私の想いに共感し、零細企業の顧客を次々と紹介してくれたことも大きな転機となった。「あなたは社会に対していいことをやっているね」という誰かの一言が、暗闇を照らす光になった。
5年という長い月日を経て、2024年、ようやくVCからの資金調達を完了した。
今、私の隣には再びフルタイムのスタッフがおり、小規模ながらもチームも出来上がった。一人で震えていたあの頃の自分に伝えたい。
「行動を続けていれば、仲間もでき社会から必要とされる」
「壁にぶつかるのは、自分のビジョンが間違っているからではない。ただ、やり方がまだ未熟なだけだから。」
私たちの挑戦は、まだ始まったばかり。マレーシアの中小企業(SME)が、公正かつスピーディーに資金にアクセスできる世界。透明性があり、誰もが挑戦できる社会。
この実現を目指して、私たちはこれからもマレーシアの地で、一歩ずつ、しかし力強く進んでいく。
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